職場に入ってきた、小さな子猫
今から15年ほど前。
私は、五島列島の福江島で働いていました。
職場は海の近くにあり、カニや猫が建物の中に入り込んでは、警報が鳴ることも珍しくない。そんな環境でした。
ある日、一人の女子職員が、小さな子猫を手のひらに乗せて私のところへやって来ました。
「何度も遠くに連れて行っても、また戻ってきてしまうんですよ」
手のひらにすっぽり収まるほどの、小さなキジトラの子猫でした。
「小さいな。かわいい猫だな」
それが、チロを見たときの最初の印象でした。
同時に、
「近くに母猫はいないのかな」
とも思いました。
もちろん、このときの私はまだ知りません。
この小さな子猫と、その後15年も一緒に暮らすことになるなんて。

何度離しても、戻ってきた
女子職員たちは、それまでにも何度かチロを職場から離れた場所へ連れて行ったそうです。
それでも、チロは戻ってきました。
私も何度か、職場から離れたところへチロを連れて行きました。
それでも、また戻ってくる。
そして、ある日の昼休み。
私が職場から外へ出ると、そこにチロがいました。
まるで、私が出てくるのを待っていたかのように。
何度離れた場所へ連れて行っても戻ってくる。
そして今度は、私を「出待ち」している。
「もしかして、この子は私に飼ってほしいのかな」
そんなふうに思いました。
本当のところは、チロに聞いてみなければ分かりません。
でも今振り返ると、あの小さな子猫は、自分で私を選んでくれたような気がします。
「何かの縁なのかもしれない」
そう思った私は、チロを自分の住む宿舎へ連れて帰ることにしました。
職場と宿舎は、歩いてわずか1分ほど。
とりあえず小さなチロを宿舎へ連れて行き、近くのドラッグストアへ。
ミルクとキャットフードを買ってきて、食べさせました。
猫を迎える準備など、何もしていませんでした。
ついさっきまで、職場に入り込んでいた子猫だったのですから。
こうして、私とチロの暮らしが始まりました。
「チロ」という名前
ところで、このときの子猫には、まだ名前がありませんでした。
小さな子猫です。
部屋の中にいても、どこにいるのか分からなくなることがあります。
そこで私は、チロの居場所が分かるように、鈴の付いた首輪を買いました。
小さな子猫が部屋の中を歩くたび、
チロリン、チロリン――。

鈴の音がします。
その音を聞いているうちに、
「チロでいいか」
そうして、この小さな子猫は「チロ」になりました。
甘えん坊ではない。チロはチロだった
チロは、べったり甘えてくるような猫ではありませんでした。
どちらかといえば、
「我が道を行く」
そんな猫でした。
宅配便の人が来れば、怖がって隠れるどころか、玄関に向かって走っていく。
何が来たのか、自分で確かめなければ気が済まなかったのでしょうか。
保護したばかりの頃は、夜になるとケージに入れて寝かせていました。
それから数か月後、去勢手術をしました。
その頃から、夜は私と一緒に寝るようになりました。
甘えん坊ではない。
いつも自分の好きなように生きている。
それでも夜になると、同じところで眠る。
それが、チロなりの距離の取り方だったのかもしれません。
チロと一緒に、東京へ

チロと福江島で暮らし始めて、約2年。
私は東京都世田谷区の職場へ転勤することになりました。
もちろん、チロも一緒です。
そこに迷いは、まったくありませんでした。
チロを保護した頃、母から言われていた言葉があります。
「飼うのなら、最後まで責任をもって飼いなさい」
その言葉は、ずっと頭にありました。
福江島から東京へ行くからといって、チロを置いていくという選択肢は、最初からありません。
東京での部屋探しで、外せない条件は一つ。
チロと一緒に暮らせること。
幸い、駅から徒歩7分ほどのところに、ペット飼育可のアパートを見つけることができました。
福江から福岡へ。
福岡から東京へ。
移動は、すべて飛行機でした。
福江島の職場にふらりと現れた小さな子猫が、飛行機を乗り継いで東京で暮らすことになったのです。
「暴漢に襲われたんですか?」
東京での暮らしにも慣れた頃、事件が起きました。
ある日、チロが網戸をこっそり開けて、ベランダへ出ていたのです。
それに気づいた私は、驚かせないようにチロの後ろからそっと近づきました。
そして、抱きかかえました。
ところが――。
突然後ろから抱き上げられたチロは、びっくりして大暴れ。
噛む。
引っかく。
それでも何とか、チロを部屋の中へ戻すことはできました。
ただし、その代償はなかなかのものでした。
私は顔などに結構なケガを負い、近くの病院へ。
破傷風の注射まで打ってもらいました。
傷の残った顔で職場へ行くと、同僚たちが心配して聞いてきました。
「どうしたんですか? 暴漢にでも襲われたんですか?」
暴漢ではありません。
飼い猫です(笑)。
しかも、被害を受けたのはこちらなのに――。
それから数日間、チロは私を見るたびに、
「シャー!」
どうやらチロの中では、悪いのは完全に私だったようです。
東京から、長崎へ
そんな東京での暮らしも、7年ほど続きました。
その後、私は職場を退職し、地元の長崎市へ戻ることになりました。
もちろん、このときもチロは一緒です。
東京から長崎までは飛行機。
チロをキャリータイプのケージに入れ、搭乗前に預けました。
福江島から東京へ。
そして東京から長崎へ。
チロは、私の人生の節目ごとに、一緒に空を飛んできました。
ところが、長崎の自宅へ着いてみると――。
チロは押し入れにこもってしまいました。
私にとって長崎は「地元へ帰ってきた」場所です。
でも、チロにとっては違います。
長く暮らしてきた東京のアパートを離れ、突然、知らない家へ連れてこられたのです。
見たことのない場所。
嗅いだことのない匂い。
チロが戸惑うのも当然だったのでしょう。
押し入れにこもること、約2日。
それでも少しずつ外へ出るようになり、やがて長崎での暮らしにも慣れていきました。
そして、この家でチロは新しい家族と出会います。
チロに、弟ができた

最初は「シャー!」だったチロ。でも、いつしかハナと一緒に眠るようになりました。
ハナです。
ハナがわが家での生活に慣れ、チロと一緒に過ごすようになると、最初の頃、チロはハナに向かって、
「シャー!」
と威嚇していました。
チロにしてみれば、それまで自分のなわばりだった家に突然現れたハナを、警戒したのかもしれません。
ところが、それも数日ほど。
いつの間にか「シャー」はなくなり、チロはハナを受け入れました。
一方のハナはというと――。
最初からチロが大好きだったようです。
やがて二匹は、一緒に眠るようになりました。
福江島から東京、そして長崎まで、ずっと一匹で私についてきたチロ。
そんなチロに、弟ができました。
そして、あかりがやって来た
その後、わが家にはもう一匹、新しい家族が加わりました。
あかりです。
チロが初めてあかりを見たときのことを覚えています。
大きく威嚇するわけではなく、
「ウーッ……」
と、小さく唸っていました。
ハナのときとは、少し違いました。
今でも、あかりがチロに積極的に近づくことはありません。
チロの方からあかりに近づくこともありません。
二匹は二匹なりに、ほどよい距離を保ちながら暮らしています。
あかりは若く、家の中を全力で走り回ります。
そんなあかりを見て、チロはいったい何を思っているのでしょう。
「若いっていいなあ……」
なんて、少しうらやましく思っていたりして(笑)。
片手サイズだった子猫は、今

福江島から連れてきた子猫です。決して大泥棒を連れてきたわけではありません(笑)。
福江島で初めて会った頃のチロは、片手のひらに乗るほどの小さな子猫でした。
それが今では――。
体重10キロ超。
あの頃と同じように片手に乗せようものなら、今度は私の片手が骨折しそうです(笑)。
15年前、チロを手のひらに乗せて私のところへ連れてきた女子職員も、こんなに大きな猫になるとは想像していなかったでしょう。
もちろん、私も想像していませんでした。
もし、15年前の自分に会えたなら
もし今、15年前の福江島に戻れるとしたら。
女子職員の手のひらに乗せられた、小さなチロを前にしている自分に、私はこう言うかもしれません。
「おい!宏一!その猫に関わるのはやめておけ!」
……もちろん、冗談です(笑)。
網戸を開けてベランダへ出られ、捕まえようとして大ケガをし、病院で破傷風の注射まで打たれました。
片手に乗るほどだった子猫は、今では10キロを超えました。
その後、ハナが来て、あかりが来て。
振り返れば、本当にいろいろなことがありました。
でも――。
もう一度、あの日に戻ったとしても。
きっと私は、同じようにチロを宿舎へ連れて帰ると思います。
最初に私のところへ何度も戻ってきたのは、チロでした。
それからは、私がどこへ行くときもチロを連れて行きました。
福江島から東京へ。
東京から長崎へ。
気がつけば、約15年。
あのときチロが私を選んでくれたのだとしたら、
私も、チロを選んでよかった。

福江島で出会ってから約15年。今も、私のそばにいるチロ。
あの日、私を待っていてくれてありがとう。
これからもよろしくな、チロ。

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